朝鮮女子勤労挺身隊の真実(名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会)

当時朝鮮の子どもたちは、「日本ヨイ国、キヨイ国、世界ニヒトツ神ノ国」「天皇陛下ハ神様」だと教えられ、それを信じさせられていました。「挺身隊として日本に行けば、工場で働きながら女学校に通え、お金もたくさん稼げる」と校長先生からいわれ、親たちの反対を押し切って志願しました。女学校に行って勉強したかったからです。

 

慟哭の碑 故郷に帰れなかった朝鮮の少女たち

1944年12月7日、東南海地震(M8)が東海地方を襲い、軍用機を生産していた三菱重工名古屋航空機製作所道徳工場の建物はそのほとんどが倒壊し、この工場に動員されていた労働者と学徒ら51人に加え、朝鮮半島から強制連行されていた朝鮮女子勤労挺身隊の幼い少女(14歳から16歳)6人も犠牲になりました。もともと紡績工場だった建物は、飛行機をつくるために柱が取払われ、地震に弱くなっていたのです。また、アメリカ軍の空襲にもさらされ、1人の朝鮮人少女が亡くなりました。

1988年12月4日、旧道徳工場の跡地に建立された「東南海地震犠牲者追悼記念碑」は、2012年に隣接する名南病院に移設されました。毎年12月7日には、管理団体が「悲しみを繰り返さぬよう」に追悼の集いを開催しています。

 

少女らは、どこから来たのか?

写真は、1945年10月19日に博多港で撮影され、帰国を喜ぶ少女たち(全羅北道女子勤労挺身隊)の笑顔が印象的ですが、三菱重工などの加害企業は、少女たちの人生を大きく狂わせました。

日本は、戦時に『挺身隊』の名で朝鮮女性を「従軍慰安婦」として多数動員し、その事実を戦後も隠しつづけたために、韓国では『勤労挺身隊』が日本軍「慰安婦」と見られてきました。そのため、日本に行ったことを隠して結婚しますが、いつかそれを夫に知られ、家庭不和や離婚に遭遇します。日本での怪我や病気、心の傷も、結婚の障害や後遺症となって人生に影を落しました。
 

道徳工場で働いた村松寿人さんの証言

金曜行動と名古屋高裁(確定)判決

名古屋高等裁判所判決文(抜粋)

(1)…各勧誘者らが本件勤労挺身隊員らに対して、欺罔あるいは脅迫によって挺身隊員に志願させたものと認められ、これは強制連行であったというべきである。

(2)…本件工場における労働・生活については、同人らの年齢、その年齢に比して過酷な労働であったこと、貧しい食事、外出や手紙の制限・検閲、給料の未払いなどの事情が認められ、これに挺身隊員を志願するに至った経緯なども総合すると、それは強制労働であったというべきである。

(3)…東南海地震により1944年(昭和19年)12月7日本件工場内で死亡したこと、…本件工場内での作業中に左手人差指に障害を負ったことは、いずれも上記強制連行、強制労働により生じた損害と認められる。

 

(5)…日本は、ILO29号条約を1932年(昭和7年)10月15日に批准し、同年11月21日に批准登録しているが、同条約では、女性でかつ18歳未満の児童についての強制労働が一切認められていなかったにもかかわらず、上記2のとおり、本件勤労挺身隊員らに対する勧誘行為や同人らの本件工場における労働・生活は、被控訴人国による監督のもとなされた強制連行・強制労働と認められること、そしてこれらの行為は個人の尊厳を否定し、正義・公平に著しく反する行為と言わざるを得ないことに鑑みれば、行為当時の法令と公序のもとにおいても、許されない違法な行為であったいうべきである。

大きく前進した名古屋高裁の判決

名古屋高裁判決は、地裁判決と同様、1965年の韓日請求権協定によって原告らの請求を認めない判断を行いましたが、高裁判決には大きな前進がありました。

1、原告が強制連行・強制労働を受けたとはっきり認め、強制連行・強制労働は違法であり、「個人の尊厳を否定し、正義・公平に著しく反する行為と言わざるを得ない」とはっきり認めました。

2、日本が、大量に動員した軍「慰安婦」の動員・被害の実態を明らかにしなかったために軍「慰安婦」が帰国後被った人生被害と同一の被害を勤労挺身隊員が被ったことを明確に認めたためである。

3、その上で、国には強制連行・強制労働についての民法上の不法行為による損害賠償責任を負うと認めました。結論は韓日請求権協定により国には賠償請求に「応じる法的義務はない」という、常識に沿わない結論になりましたが、国に強制連行・強制労働に対する賠償責任があることを正面から認めた裁判例は初めてです。

4、強制労働先企業の三菱重工業も、原告らの強制連行・強制労働についての民法上の不法行為責任を負う余地があると認めた点です。三菱重工業はこの点、戦前の三菱と戦後の三菱は別会社であると主張していましたが、実態としてそれは認められないとはっきり判断されました。

 写真は、名古屋高裁(2006年12月5日結審)に向かう原告と支援者です。左端の男性は故キム・チュンゴンさん(2019.1.25永眠)。遺影は妻のキム・ボクレさん(2001.12.31永眠)、右端の遺影は東南海地震で犠牲となった妹のキム・スンレさんです。親友の二人は朝鮮女子勤労挺身隊に強制動員されましたが、一人帰国したキム・ボクレさんは、「自分だけ生きて帰ってきて…」と、ご両親に詫びました。

金曜行動は、行動する高裁判決です!

2007年5月31日名古屋高等裁判所は、原告(被害者)の請求を棄却しましたが、請求棄却によって原告(被害者)の損害賠償請求権が消滅したわけではありません。その事は、河野外務大臣(当時)の国会答弁「個人の請求権が消滅したと申し上げるわけではございません(2018年11月14日衆院外務委員会)」からも明らかです。

行為当時(戦争中)でも違法行為であり、三菱重工業と日本政府に責任があるという名古屋高裁の判決を十分に生かし、一日も早い自主解決のために2007年7月20日から「金曜行動」が始まりました。

「雨垂れ石を穿つ」金曜行動500回!

金曜行動は、2020年1月17日に500回となりました。参加者の移動距離は延べ30万キロ、地球を7周半巡り、光の速度と同じになりました。

金曜行動は、原告(被害者)と援者にとって「希望の光」です。雨だれが石を穿つように、一筋の光が「正義」「道理」を輝かせる日が来ることを、名古屋高裁判決は私たちに確信させました。

金曜行動は、新型コロナ感染症対応で中断を余儀なくされていますが、私たちは、決して諦めることなく、怯むことなく、原告(被害者)と共に進みます。

事実を認め、素直に反省し、心から謝罪する

戦後補償問題は、裁判による損害賠償(慰謝料)だけでは解決しません。被害者の傷ついた心を癒す謝罪が必要です。だから、金曜行動は、加害者と被害者の話し合いによる自主解決を目指しています。

三菱重工の本社前で話し合いによる早期自主解決を訴える韓日支援者

(丸の内二重橋ビルディング)

三菱重工は、被害者が道徳工場や大江工場で働いた事実を認めながら謝罪はおろか慰労の言葉さえありません。韓国の支援者が持参した「謝罪一言聞けず、75年」「10代の少女は、もう、91歳のおばあさんいなりました。」の横断幕には被害者の深い苦悩と悲しみが宿っています。

(外務省前で一日も早い解決を訴える韓国の支援者)

三菱重工を許さずにイ・ドンリョン(李東連)さん逝く!

遺族原告キム・チュンゴン(金中坤)さんに続きイ・ドンリョン(李東連)ハルモニ(おばあさん)までが死んでしまいました。

原告を見殺しにして「事件」をうやむやにしようとする三菱重工への怒りを抑えて、名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会の高橋共同代表は、「李東連ハルモニ(90歳)が5月6日、逝去されました。最初にお目にかかったのは、1988年8月1日、全羅南道(チョンラナムド)霊光(ヨンカン)郡霊光のバス停でした。私たちが、「探し当てた」最初の勤労挺身隊被害者でした。

名古屋訴訟では、サングラス・マスクでとおした匿名原告でしたが、光州(カンジュ)訴訟では、もはや失うものは何もないと、素顔で闘い抜かれました。

15年10月の“原告に笑顔を”名古屋集会への参加が、当地への最後の訪問となりました。」と、やるせない胸の内を会員に伝えました。

「日本政府と三菱から一言の謝罪を聞くのが願い」

李(イ)さんと小学校のクラスメイトで一緒に強制徴用された梁錦徳(ヤン・クムドク、91歳) さんも、この日、霊場を訪れた。梁(ヤン)さんは「東連(ドンリョン」と私は生涯を共にした親友だ。学校に手をつないで通うほど親しかった」とし、「寒い冬には下校途中、うちで体を暖めてから家に帰ったりした」と、昔の追憶を想い浮かべた。

李さんは1944年5月羅州(ナジュ)小学校を卒業した後、日本人校長の勧誘で梁錦徳さん一緒に三菱重工業名古屋航空機製作所へ動員され、1945年に解放を迎え10月帰国した。強制徴用被害者なのに逆に周囲の冷たい視線と世の中の評価のせいで、一生鬱憤の中で暮らして来た。以後、日本で進められた訴訟に参加したが、この時もマスクとサングラス、帽子で顔を隠した李さんは、別名「マフィア」と呼ばれた。子どもたちに被害が及ぶのを怖れて、周辺の人たちの視線に怯えたというのが、「勤労挺身隊おばあさんと共にする市民の会」関係者の説明だ。

しかし市民の会と共にした韓国の国内訴訟が始まった後は、マスクを脱いで先頭に立ち始めた。

李さんが参加した三菱相手の国内訴訟は2012年10月光州地方法院で勝訴判決を受け2018年11月確定したが、李さんは最期まで日本政府と三菱から謝罪を貰えないままこの世を去った。これで日帝強制徴用の被害者原告5名のうち、梁錦徳・金性洙(キム・ソンジュ)・朴海玉(パク・ヘオク)さんの3名だけが残っている。李さんは故郷の羅州に帰り、先に逝った強制徴用の被害者たちに再会する。

光州日報 2020年5月8日(金)

空襲で焼失する前の名古屋城を背景に撮った三菱重工業名古屋航空機製作所の羅州(ナジュ)出身の朝鮮女子勤労挺身隊員の記念写真。

後列左から4番目が、5月6日に亡くなられた原告故イ·ドンリョン(李東連)さん、前列左から7番目が原告ヤン·クムドク(梁錦徳)さん。

ミステリアスな日韓請求権協定

椎名悦三郎外務大臣の国会答弁(第50回国会 参議院本会議1965年11月19日)

「請求権が経済協力という形に変わったというような考え方を持ち、したがって、 経済協力というのは純然たる経済協力でなくて、 これは賠償の意味を持っておるものだというように解釈する人があるのでありますが、法律上は、何らこの間に関係はございません。

あくまで有償・無償5億ドルのこの経済協力は、経済協力でありまして、韓国の経済が繁栄するように、そういう気持ちを持って、また、新しい国の出発を祝うという点において、 この経済協力を認めたのでございます」

⇓ 政府見解(認識)の変化

河野外務大臣(当時)の神奈川県で行った街頭演説(2018年11月3日)

「1965年の国交正常化でいちばん問題になったのが補償や賠償をどうするかで、日本が経済協力として一括して韓国政府に支払い、国民一人一人の補償は韓国政府が責任を持つと取り決めた」

「判決はこの取り決めに完全に違反するもので日本としては受け入れられない。韓国にすべて必要なお金を出したので、韓国政府が責任を持って補償を行うべきだ」

河野外務大臣(当時)は、椎名悦三郎外務大臣と真逆の事を言っています。しかも「一括払い」の大間違いまでしています。日本の「経済協力金」は、日本の生産物と日本人の役務(労働)による「現物支給」で「10年の期間」さらに「韓国の経済発展に役立つ」と用途まで「韓国との請求権・経済協力協定」で決められています。

「最終かつ完全に解決した」のは、政府と政府の請求権で外交保護権の放棄でした!

シベリア抑留者のソ連に対する請求権についての質疑(1991年3月26日、参議院内閣委員会)

「高島有終外務大臣官房審議官 …日ソ共同宣言第六項におきます請求権の放棄という点は、国家自身の請求権及び国家が自動的に持っておると考えられております外交保護権の放棄ということでございます。したがいまして、御指摘のように我が国国民個人からソ連またはその国民に対する請求権までも放棄したものではないというふうに考えております。」

1 1991年8月27日 参議院予算委員会 
「政府委員(柳井俊二君) …これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。…日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます。」

2 1992年2月26日衆議院外務委員会 
「柳井政府委員 …日本の国内裁判所に韓国の関係者の方々が訴えて出るというようなことまでは妨げていないということでございます。…ただ、これを裁判の結果どういうふうに判断するかということは、これは司法府の方の御判断によるということでございます。」

3 1992年3月9日 衆議院予算委員会
「工藤政府委員 訴権だけというふうに申し上げていることではないと存じます。それは、訴えた場合に、それの訴訟が認められるかどうかという問題まで当然裁判所は判断されるものと考えております。」

五輪不況
オリンピック景気で膨れ上がった経済は、オリンピック開催後には萎み始めます。それを見透かすように日韓請求権協定は、第18回東京オリンピックの翌年に締結されました。「現物支給」の経済協力は、政府が発注し日本企業が受注して韓国に納品しました。良いカンフル注射になった事は容易に想像できます。


韓国大法院(最高裁)判決

「元徴用工の損害賠償請求権は、日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民地支配及び侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権であるとした。その上で、このような請求権は、1965年に締結された「日本国と大韓民国との間の財産及び請求権に関する問題の解決と経済協力に関する協定」(以下「日韓請求権協定」という。)の対象外であるとして、韓国政府の外交保護権と元徴用工個人の損害賠償請求権のいずれも消滅していないと判示した。」

1 元徴用工問題の本質は人権問題である

2 日韓請求権協定により個人請求権は消滅していない

3 被害者個人の救済を重視する国際人権法の進展に沿った判決である

4 日韓両国が相互に非難しあうのではなく、本判決を機に根本的な解決を行うべきである

(元徴用工の韓国大法院判決に対する弁護士有志声明)

 

三菱重工「裁判で敗訴したので判決には従いません。」

韓国大法院(最高裁)は、2018年10月30日に日本製鉄元徴用工の損害賠償請求を認めました。また同年11月29日には三菱重工の被爆元徴用工(広島)及び朝鮮女子勤労挺身隊(名古屋)の訴えを認め、三菱重工に損害賠償(慰謝料)の支払いを命令しました。

これに対し三菱重工は「日韓請求権協定で解決済み」として確定判決の履行を拒んでいます。法律(確定判決)を無視して裁判を侮辱する三菱重工の態度は、自社の「グローバル行動基準」や日経連の「企業行動憲章」に反し「コンプライアンス(法令順守)」のカケラもありません。