戦災樹木(戦争遺跡研究会)

1.戦災樹木とは

戦争の被害を受けた樹木を「戦災樹木」といって、大地震・大火・落雷による被害とは区別されます。

 

空襲に遭った樹木の形状は、

①焼夷弾や爆弾の破片が当たったもの(写真①) 

②熱火によって焼けたもの

があります。

① 焼夷弾がささったシイノキ
大垣空襲で被災、この木は台風で倒れてしまいました。『水の都に火の雨が降る』より 

 

2.戦災樹木の特徴


(1)焼け焦げ跡


空襲で猛烈な火災が発生したことによる焼け焦げ跡がみられ、幹の根元から上に向かって焦げた裂け目が入ることがあります。(写真②)

(2)空洞(うろ)


焼け焦げがひどいと、含水率が低くて燃えやすい樹皮内側まで焼失し、幹の内部に空洞ができることがあります。(写真③)

(3)自力回復


「巻き込み」ともいわれ、焦げた裂け目を覆い隠すように、周りの樹皮が盛り上がってくることがあります。(写真④)

 

② 東京都浅草寺のイチョウ
1945.3.10 の大空襲で建物と共に焼け黒く焦げています。

③ 東京都氷川神社のイチョウ 
1945.5.25 の空襲で被災、大きな空洞ができ炭化しています。

④ 各務原市個人のクロガネモチ
裂け目の周りの樹皮が、自力回復で盛り上がっています。

 

3.戦災樹木の樹種


右表は、把握した全国379本の戦災樹木の樹種と本数を集計したものです。

最多のイチョウは「火伏せの木」ともいわれ、水分の多い樹木で、焼けても生き残る率の高い木です。それに、延焼防止効果が高く、神社・寺院・学校等に多く植樹されています。

4.愛知県の戦災樹木


 項目は、番号・名称・所在地・被災年月日・概要の順です。

 

① 冨士神社のケヤキ・名古屋市東区東桜2-4・1945年3月
ケヤキに焼夷弾(しょういだん)が刺さり燃えたため、縦(たて)に大きな裂(さ)け目が残っています

② 片山八幡神社のクスノキ・名古屋市東区徳川2-13・1945年4~5月
境内林や社殿は焼失、クスノキの焼け跡(あと)は自力回復によりふさがっています

③ 名西高校のソテツ・名古屋市西区天神山町4-7・1945.5.14
旧県立第二高女は全焼、焼けたソテツが芽吹き現県立名古屋西高校玄関前に移植されました

④ 名古屋城のカヤ・名古屋市中区本丸・1945.5.14
主幹が焼け炭化し空洞化しています。国指定文化財の説明板があります

⑤ 名古屋城事務所北のムクノキ・名古屋市中区本丸  1945.5.14
西側建物が焼けたとき、熱風で双立の幹の西側が焼け焦(こ)げたようです。現在切られ切り株だけ残っています

⑥ 名古屋城の御殿椿・名古屋市中区本丸・1945.5.14
本丸御殿の庭のツバキ、焼けたが出芽(しゅつが)し今は枯(か)れて根株だけ(上写真)。1955年頃接(つ)ぎ木して天守東に復活(下写真)

⑦ 那古野(なごや)神社のイチョウ・名古屋市中区丸の内2-3-17・1945.3.19
被災数年後芽吹き復活、今は延命長寿の縁起(えんぎ)の良い公孫樹(いちょう)とされています

⑧ 河文(かわぶん)のシイノキ・名古屋市中区丸の内2-12-19・大戦時
料亭の建物と共に焼け焦げたが、何とか唯一残りました

⑨ 至誠院のイチョウ・名古屋市中区丸の内1-8・1945.3.19
焼夷弾により燃えて、幹が縦に黒く焼け焦げています

⑩ 聖運寺のイチョウ・名古屋市中区大須1-17・1945.3.19
焼夷弾により幹の西側に焼けた跡、お陰で東側は類焼しませんでした

⑪ 松原の大楠(おおぐす)・名古屋市中区松原1丁目3・大戦時
戦災で焼けたが、根本からひこばえが成長し命を吹き返しました

⑫ 尾陽(びよう)神社のツクバネガシ・名古屋市昭和区御器所2-9・1945.5.17
焼夷弾爆撃で焼け、1953年頃枯死(こし)、後に境内整備で根株(ねかぶ)を保存しました

⑬ 名市大のソテツ・名古屋市瑞穂区瑞穂町山の畑1・1945.3.12
旧制八高正門前のソテツは、校舎全焼時黒焦げになったが再生し、1978年現地に移植されました

⑭ 名市大のハンテンボク・同市瑞穂区瑞穂町山の畑1・1945.3.12
旧制八高校舎と運動場の境の並木でしたが、現在は2本が残っています

⑮ 佐渡(さわたり)町のカエデ・名古屋市瑞穂区佐渡町2-13・1945.5.17
焼夷弾により母屋(おもや)全焼、庭のカエデに焦げた裂け目が残っています

⑯ 高蔵(たかくら)神社のクスノキ・名古屋市熱田区高蔵町9・1945.5.17
焼夷弾の直撃を受け、上部が焼失しています。当神社の神木です

⑰ 豊橋のエノキ・豊橋市湊町・1945.6.19~20
豊川左岸堤防上に被災したエノキ2本があります。幹は縦に長く割れています

⑱ 下地(しもじ)小学校のイチョウ・豊橋市下地町宮前68・1945.6.19
校舎と共に焼かれましたが、根本の部分が焼け残り芽を出し成長しました

⑲ 育清院のヤマモモ・豊橋市植田町中畑22・1945.6.20
2本の幹に縦に大きな裂け目が残っていて、中は黒焦げの空洞になっています  

⑳ 龍拈(りゅうねん)寺のクスノキ・豊橋市新吉町3・1945.6.19
豊橋空襲で焼けて太い幹に傷跡がありますが、大木に成長しています

㉑ 竜海院のタブノキ・岡崎市明大寺町西郷中34・1945.7.20
岡崎空襲で全伽藍が全焼した時、この木も燃えたが、新芽を吹き復活しました

㉒ 豊川工廠(こうしょう)前のケヤキ並木・豊川市諏訪13丁目・1945.8.7
ケヤキ並木は黒焦げになりましたが、後に復活し「豊川市復興のシンボル」に

㉓ 小牧市本庄のヤマモモ・小牧市本庄字山脇前2468・1945.1.6
焼夷弾で焼けたヤマモモは、中央部が大きくえぐられても息を吹き返しました

㉔ 稲沢のクロガネモチ・稲沢市小池2丁目16-13・1945.1.23
稲沢空襲で民家の庭木が被災、縦に大きく裂け中は空洞になっています 

㉕ あま市東光寺のクロガネモチ・あま市七宝町伊福弐之割・1945.3.19
焼夷弾による裂け目と空洞ができています。立札「安寧(あんねい)祈念の木」があります

5.戦災樹木の継承


(1)説明板の設置


戦災樹木に説明板を設置している数は少ないです。ほとんどが寺社や学校等の所有者で、戦争の生き証人として設置しています。

説明板を設置することは、その木を本当に生かしていることになります。

 

① あま市東光寺の説明板

 

(2)戦災保存樹の指定

文化財保護法による「天然記念物」や、樹木保存法や条例に基づく「保存樹・保護樹」に指定された樹木がありますが、その中に戦災樹木も少しですが含まれています。

今は指定条件ではありませんが、戦災の傷跡も価値ある「緑の文化財」として、大切に守られるように保護樹等に指定してほしいものです。

 

② 新宿区みどり土木部が保護樹木に指定した説明板

③ 芦屋市都市建設部が保護樹に指定したプレート(2017年指定解除された)

 

(3)戦跡案内書への掲載

最近の戦跡ガイドブック等に、戦災樹木を紹介しているものが多くなっています。

戦災樹木は、文化財体系では「史跡」に含まれず厳密には「戦争遺跡」ではありませんが、同等の戦争関連物件として認められるものです。

さらに、身近な郷土の歴史を知るガイドコースの中に取り入れて、広く周知する取り組みが進められています。

 

最近のガイドブック

(4)児童書による普及

子どもにも、戦争樹木から戦争そして平和への関心を持つことができるように、児童書にも戦災樹木が取り上げられてきています。

 

絵本『ひろしまのエノキ』1988年 童心社

絵本『七本の焼けイチョウ』2001年 くもん出版

絵本『だっこの木』2011年 文溪堂